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塔の上のラプンツェル

 

ゴーテルとラプンツェルの関係について。

 

ゴーテルはいわゆる毒親がモチーフになってるんかなと思った。セリフを見ても、「あなたは何もできない子ども」とか「お母様の言う通りにしてればすべて大丈夫」「結局私が悪役なのね」とか、まさにそれっぽい。ラプンツェルを塔に閉じ込めてその力を利用してるのも、子どもを自分の元に縛り付けて支配する母親っていうのをファンタジーの世界に持っていくとそうなるって感じ。

 

あと、二人の関係は共依存なんかも。ゴーテルはラプンツェルの髪の力がないと若さを保てず、どころか生きていられず、わかりやすくラプンツェル(の力)に依存してる。自分のそばにずっとラプンツェルを置いておく必要があるわけやけど、ラプンツェルからするとゴーテルに力を利用されることにはなんのメリットもない。だからゴーテルはラプンツェルを自分に依存するように育ててきたんやと思う。その方が自分にとって都合がいいから。

ゴーテルはラプンツェルがいないと本当の意味で生きていけないからその分、というかそれよりも強く、ラプンツェルを自分に依存させる必要があった。

でも、ゴーテルはラプンツェルに対して一切愛情を持ってなかったんか?って考えるとどうなんかなあと思う。ラプンツェルは塔の中でそれなりに幸せに暮らしてたみたいやったし、ゴーテルはラプンツェルの好物を把握しててわざわざ作ったりもしてた。そして、誕生日プレゼントを買いに3日も塔から離れるって、そんなこと普通する?めちゃくちゃ外に出たがってるラプンツェルをひとり残して?

 

ラプンツェルはゴーテルに「お母様がいつも正しい、外は危険で塔の中でお母様のそばにいれば安全」と思い込まされて、外の世界に憧れつつも、十何間年も自発的に外に出ようとすることはなかった。でもただ力任せに洗脳されてたんではなく、その中でゴーテルからの愛情みたいなものを感じられてはいたんかなーと思う。その愛情が正しい意味の愛情であるかどうかは置いといて。

だからこそ、ユージーンに連れられて外に出たあとに、開放感だけじゃなく罪悪感でいっぱいになってるのやと思う。 約束を破ったから怒られる!じゃなくて、お母様を裏切ってしまった!悲しませてる!っていう気持ちからあんなに沈んでるわけで。

 

ゴーテルがラプンツェルの髪に足をとられて塔から落ちるシーンで、ラプンツェルは一瞬ハッとしてゴーテルに向かって手を伸ばそうとするんよね。すべての真実を知って、ゴーテルを倒そうとしてたはずやのに。

たとえ打算的なものやったとしても、やっぱりラプンツェルはゴーテルからの愛情みたいなものを受け取ってて、愛されてると感じてたんちゃうかなと思う。

 

こないだノートルダムの鐘を見て、フロローとカジモドの関係がゴーテルとラプンツェルのそれに似てると思った。悪役が自分の欲のために、赤ん坊を閉じ込めて自分一人の手で育てる。状況はほぼ同じで、違いは軟禁されてる側の精神状態だけ。

カジモドは、フロローに必ず従うように、決して反抗しないように厳しく躾けられて卑屈に育った。外に憧れを持ちつつも、自分は怪物だと教えられてきたから実際には出ることもなく。

外の世界に出したくないだけなら、フロローがカジモドにしたのと同じようにラプンツェルを躾けるっていう選択肢もゴーテルにはあったはず。でもそうはしなかったわけで、それはただの戦略の違いなんかなあ?