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リメンバー・ミー

ぐちゃぐちゃの感想、備忘録

 

死後の国で、なぜデラクルスだけあんなに豪邸に住んでるのか?と思ったけど、現世で覚えてる人が多いのに豊かさが比例するのか。ってことは、真実が暴かれたあともデラクルスのことは覚えてるわけやしあの豪邸自体はそのまま?
死後の国で冷遇はされるやろうしお供え物も減るだろうけど、覚えてる人が減るわけではないので暮らしはそのままなのかな。それとも現世の人々の記憶が自動的に死後の国に反映されるわけではないのか?と思うけど、祭壇に写真がない骸骨たちはスラムみたいな所に住んでたし…

 

ラクルスが毎年パーティーとサンライズ・コンサートを開催するってことは、祭壇に写真があるのに現世に全く帰ってないってことで、本当に自分の名声と音楽以外興味がなくて、会いたいと思う人もいなかったんだろうな…

 


リメンバー・ミー」という言葉について、ヘクターは娘のココに対しての気持ちだったわけだけど、デラクルスはできるだけ多くの不特定の人々に向けての気持ちで歌っていたのかも。それが「有名になりたい」という思いとなっている。

それが現れていると思うのが、写真とかの記憶媒体。ヘクターは自分が写っている写真を一枚しか持っていなくて、それを後生大事にしてた。対してデラクルスは写真が色々なところに飾られているだけじゃなく、レコードや出演した映画や銅像なんかもあったりする。
ラクルスにとっては、できるだけたくさんの人の目に留まり、覚えてもらうことこそが重要だったのかも。だから家族とかの特定の誰かに思い入れるよりも、分かりやすくパーティーやコンサートに集まる、またお供え物をしてくれる不特定多数の人々が大事だった。


そんな彼が真実を暴かれるのが、会場のカメラによる中継でっていうのが因果応報という感じ。

映像に撮られてしまって失脚というとモンスターズ・インクのウォーターヌースを彷彿とさせるけど、あちらは失言を録画して動かぬ証拠にするっていうカメラの「保存」の役割が重要で、デラクルスの場合は、大勢の観客に現在の状況がそのまま筒抜けになってしまうっていう「中継」がカメラの役割。

祭壇に飾られる写真がすごく重要な世界だからこそ、カメラの果たすところは大きいのかも。

 

歌のシーン、ウンポコ・ロコも好きやけど哀しきジョローナがかなり好き。歌への導入もドラマチック。何より、夫をなくしたイメルダが歌う「女が男を命より大切に想う」って内容の歌を自分のコンサートのオープニングアクトに仕立てたあげく、デュエットまでして自分の見せ場で締めるなんてことをするデラクルスのとんでもなさが表れてていい。

昔の親友を殺して曲を奪って、それをずっと隠してきたことが発覚した直後に、親友の妻とデュエットするとかできる??きっとそのへんの葛藤はもはや全然なくて、突然の乱入者をどうパフォーマンスに生かすかっていうことの方がよっぽど大事やったんやろうな。歌声だけで伝わるデラクルスのあまりの自信満々さ、厚顔無恥に感心してしまう。惚れ惚れする悪役っぷり。

 

あと、ダンテが魂のガイドっていう伏線が死者の国に行く前のどこかにあるはず!と思って2回目見たら、初登場のシーンで「アレブリヘ」の看板と共に出てきてた。しょっぱな!